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揺れ続ける土台

どうも、希死念慮マンです。

メンタル的に調子もよろしくなく、意識高く仕事ノウハウ本を立ち読みをしていた時期もありましたが、マクド通いをやめてから、本屋に近寄ることも少なく、足が遠くなってしまいました。

ぐるぐるととめどなく考えてみて、原因の大きな部分になっているのが、今の自分のふらっとして地に足付かない状況であると考えました。

今の自分は大学をでてから、ニート期間が一時あったものの、幸いにもなんとか就職先が見つかったのでそこで働いてはいますが、正直なところ、不安はあります。
収入は一人で独立して生きていくには少ないですし、将来の展望が見えてくる気配はありません。徐々に進んでいるようですが、自分ではよくわかりませんし、いつまでも親に養ってもらうわけにもいきません。自分で立たないと、自分の今後がわからなくなります。

かと言って、手に職をつけようにも、付けるだけの時間もお金もないのが現状です。
お昼の立ち読みや、電車内での膝上PC環境で頑張れる範囲で頑張ってはいますが(努力が足りないというのは認めざるを得ませんが)、疲れきっていますし、なかなか十分な勉強ができているとはいいがたいところです。

若さは期間限定ものであり、若さで許される期間は過ぎてしまいました。
老い先は短い。いわんや不安定人など、老い先はもっと短いと思われます。
時間は有限なので、失敗すればするだけ、人生をその時間だけ無駄にしてしまいます。
自分の至らない現状に焦れば焦るほど、悩んでいく時間が増える。もがいていく日々が続く。
結局、前に進めていない。手数も日毎に少なくなっていく。
沼に足を取られているような日々が続いています。

若いうちに、お金の心配を全くしなくてよかったような時期に勉強できてなくて、自身の「芯」というか「手に職」というか、そういう自分が大人になる時に持っておくべきものが持てていなかった、という現実を突きつけられて死ぬほど後悔しています。
つけておくべき脚力がないから、沼に足を取られても、思うように前へ進み出せないのかもしれません。

しかし、それでも、そんな状況でもがむしゃらに前に進んでいくしかありませんが、
「立ち止まっても、迷ったりしてもいいんだよ」と自分を許せる状況になるのは、まだまだ遠い未来のような気がします。

追伸
どうやら、デスクワークや座っている時に足を組む時間が多くなってきましたし、電車の中で立っていてもバランスを取るのが昔より難しくなってきているので、肉体的な意味でも、足の筋力が弱っていると思います。8月は自転車で外出する機会もほとんどなかったし、心と体は連動するものなのですかね。