忘れてしまった習慣

人間は忘れる生き物。とりたて私は5歩進んでしまえば、大切なことすら忘却の彼方に持って行ってしまう人間であることを自覚せねばなりません。対策を習慣的に試みようとすれば、割れ窓理論のごとく1度忘れてしまえば習慣はなかったことになる非常にややこしい人間である。最近こういうことが続いているので書き留めようと思う。書き留めても忘れてしまいそうだが。

手袋のフック掛け

手袋を片方なくすということは日常茶飯事というもので、市井の人々であれば忘れてしまうのもあるだろう。駅やそこら中に落ちているのもその証左だ。元々フック穴のある手袋を購入し、それにカラビナを装着しているはずだが、ふとした瞬間にポケットに突っ込んでしまう。ジーンズなどのベルトを差し込むところがある衣服だったらそこに引っ掛けておいたりするのだが、普段着で近くで買い物を済ますと言った場合、その手段が使えない。かばんの胸にフックがあるはずなので、そこにかけるのを徹底しておくことを肝に命じて置かなければならない。

折りたたみ傘の袋の一体化

折りたたみ傘のカバーもこれも紛失は日常茶飯事のこと。対策として傘本体とカバーを紐で括りつけておくのだが、その紐を購入するのを忘れてしまう。我々は手に握っていないとものが存在していないと認識してしまう生き物なのだ。連帯しろ、拘束しろ、繋ぎ止めろ。

f:id:rakugou:20171111133718j:plain

我々は反省に弱々しい楔を打ち付け続けるしか、記憶を留めるすべはないのだ。